「じーまーみ豆腐」は、当店一の人気商品!
なかには、「沖縄産直市場のじーまーみ豆腐が一番美味しい」とまで言ってくださる方もいらっしゃいます。
しかし、こうした評価をいただくまでには、様々な試練があったのも事実です。
そこで今回は、当店で販売しているじーまーみ豆腐の製造担当者にインタビュー。
こだわりの製造方法と特徴についてたっぷりお聞きしてきました。
じーまーみ豆腐をどういったきっかけで作り始めたのでしょうか?
もともと実家が豆腐屋さんでした。
9年くらいお袋が島豆腐を作っていましたね。
家内工業的に、自分の知り合いの食堂に卸している感じです。
自分がお袋の仕事を継いでいく中で、そのままでは生活が出来ないで、広げていく必要がありました。
私たちは後発なので、市場ではなかなか販路の新規開拓が出来ませんでした。
そんな中、当時お付き合いのあったお客様から「じーまーみ豆腐を扱ってないの?」という話があって、他のメーカーから仕入れて売る予定でしたが、仕入れ値が合わなく、自分で作るしか無くなってしまいました。
それがじーまーみ豆腐を作るきっかけでした。
当時、私自身がじーまーみ豆腐を食べたことがなかったのですよ(笑)
スーパーでじーまーみ豆腐を大量に買って来て食べたり、当時はすでにインターネットがあったので、作り方はネットで調べたりしました(笑)
そして、作ったじーまーみ豆腐をお客様に試食して頂きながら改良を重ねて行って、1年くらいかけてようやく、オリジナルのじーまーみ豆腐を作り上げ、以降、豆腐の機械を全てじーまーみ豆腐専用の機械へと変更しました。
これまでお母様が作って来た豆腐を、じーまーみ豆腐に変更するにあたり、反発などはなかったでしょうか?
反発などは全くありませんでした。
お袋から継がせてもらって、10ヶ月後には母が病気をして入院してしまいました…
すべてを継ぐ前に現場から退いてしまいましたので、私自身豆腐の作り方も分かりませんでした。
元々、母が豆腐を作って私が営業をして売っていたので、豆腐の作り方というのが全く分からず、いつも横で見ていましたが、実際に自分が作るとなると全くダメでしたね。
母が入院してから、自分が見よう見まねで作った美味しくない豆腐をお得意様に持って行きました。
お客様が優しいのである程度、文句を言われながらも「これも勉強だね」とご購入して頂いてましたが、1ヶ月くらいそんな豆腐を売っていました….
親父は会社勤めをしていて、お袋が家の庭で掘建小屋を作って豆腐を作っていました。
私は元々、会社に勤めていましが、起業したかったので、お袋の手伝いをしていたという感じです。お袋に起業のきっかけを頂きました。
当初は「ゴメンだけど、業態変更するかもしれないよ」と言いながらも、豆腐作りにどんどんのめり込んでいきましたね。
引き継いでから、県外に行かれたと聞きましたが、その時のお話を聞かせて頂けますでしょうか?
豆腐も一緒に生産販売している時は、なかなか数字的目標に達成しませんでした。
そのため、じーまみー豆腐に絞って、商売をしようと決めました。
それからどこで売ろうかとなった時に、沖縄県内は先輩方がいるので、厳しいと思いました。
まだ沖縄県内でじーまみー豆腐は浸透してなくて、食べる頻度が少なく、価格も高かった。
当時、沖縄県内ではマーケットがとても小さかったです。
県内では難しいので、そのままこの文化を県外に持って行ってみようと思いました。
大阪は沖縄からの移住者が多い地域がありましたので、そこで営業すると良いかもしれないと思ってすぐに大阪に行きましたね。
大阪で運良く、得意先が3つくらい見つかったもので、そこで流通の仕組みを学ばせていただきました。
そのまま「この仕組みを東京に持って行こう!」という事で、東京で営業活動をしました。
本当は東京で営業所を作って飲食店と契約したかったのですが、当時は何の知識もないので、営業先300店舗ほどを回りましたがほとんど全滅でした。
そして、ターゲットを沖縄料理店に絞って営業をかけて行きました。
そこで埼玉で上場している豆腐屋さんに出会いました。
その会社にじーまーみ豆腐のOEMの提案をしたら採用されまして、それがきっかけで大きく動き始めました。
その実績を持って、沖縄に帰りました。
帰ってから地元の大手スーパーに営業をかけたら、今まで無名だったものが受け入れられました。
その時に実績や信用を積み上げる大切さを痛感しましたね。
元々、手作業で作業をされていたのでしょうか?
元々、手作業でやっていまして、始めた当初は1日1鍋で100個くらいサンプルを作っていました。
取引先もいないので、作ったものを直接配っていましたよ。
少しずつ忙しくなってからも、10鍋くらいは一人で手作業でやっていました。
一番大変な時は20鍋までやって、その後パートさんにお願いしてパッケージなどに詰める作業をしてもらって、自分は鍋を回しながら、同時にパートさん達に指示を出してしていました。
機械化はどういう風に取り入れていったのでしょうか?
同業者の先輩から教えて頂いたり、自分たちに合うような機械を探したりしながら機械化していきました。
1日にできる生産量はどのくらいでしょうか?
今はコロナの影響で下がっているのですが、コロナの前までは月間で約15万から20万パック製造していました。
コロナの影響がかなりありまして、4月、5月は45%ダウンしました…。
少しずつ上がり調子になりましたが、また8月からの沖縄独自の非常事態宣言の影響で下がっています。
じーまみー豆腐作りのこだわりは?
通常は蒸気で一気に作る方法が焦げ付きもなく大量生産ができるので楽ですが、元々手作りで始まったので、それを残しつつ半自動化にして直火で製造しています。
焦げさせはしないのですが、その微妙な風味は直火でないと表現できないので直火にこだわっています。
直火にこだわっているのは、昔ながらのじーまーみ豆腐を食べてもらいたい、昔ながらの沖縄の食文化を沖縄県内だけではなく、県外の方々にも食べて頂きたいという思いがあります。
大切にしている事は何でしょうか?
現在社員も増えて来まして、量が増えると製品の安全面のリスクも増えてきます。
そういったアフターフォローや、工場内で衛生面を特に気を付けています。
もし、事故が起こっても、すぐに対処できるように帳票類などもしっかり管理しています。
それが強みになるように意識しています。
製造していて大変な事は何かありますか?
それは沢山ありますよ(笑)
製品に限らず、人の事や労働環境など色々な事があります。
目先はやはりコロナの影響がありますので、通常に戻していくために新しいマーケットの開拓などをしています。
やりがいはどんな時に感じますか?
やはり、お客様からの声です。
沖縄の人は大人しいので、あまり感想など言ってくれないんです。(笑)
県外の方はメールとか電話とか結構頻繁に頂きまして「石垣島でそちらのじーまーみ豆腐を食べたけど、あの味が忘れられないので送って欲しい!」とか沢山頂きまして、その時は、モノを作る人間としての冥利に尽きますね…やっててよかったなぁと思います。
私はもう現場から退いていますが、お客様からの声は常に現場のメンバーにも伝えています。
そうすると作っているメンバーも元気をもらえて、やりがいを感じると言ってくれます。
沖縄産直市場と組んで良かったと思うことはありますか?
やはり、お土産屋さんとして私たちの味、沖縄の食文化の味が、県外、海外の方にも広がって世界に広がっていくのがとてもありがたいと思っています。
オススメの食べ方はありますか?
豆腐サラダをじーまーみ豆腐に変えて、ポン酢をかけて食べると美味しいですよ!
他には、じーまみー豆腐の揚げだし。
一手間かかりますが、じーまーみ豆腐についているタレではなく、だし汁をかけて食べると美味しいです。
デザート的に食べる食べ方は一般的ですが、おかず的な食べ方もおすすめですね。
これから挑戦してみたい事はありますか?
甘ダレではなく、出汁用のタレを作っていて、介護食とか病院用の食事に向けての新商品開発を進めています。
あと、産業廃棄物として出ているピーナッツのおからを乾燥させた製品を進めています。(おからにはピーナッツの栄養素が含まれているそうです)
最後にじーまーみ豆腐を食べていただけるお客様にメッセージがあればお願いします。
じーまーみ豆腐を食べる時に、沖縄の風景を思い浮かべながら食べて頂けるとより美味しく頂けると思います。
本当はコロナが落ち着いて、実際に沖縄に来て頂いて、風景を眺めながら食べて頂ける事が一番!だと思っています。
ありがとうございました!
いかがでしたか?
過去に様々なご経験をされたきたからこそ生まれた、製造するにあたっての「こだわり」。
たくさんの想いが込められたじーまーみ豆腐を、ぜひ一度ご賞味ください!